■仮記事「ゲームはプレイしなくても楽しめた。元引きこもりよるエアプの楽しみ方ガイド①」※テスト兼記事の途中公開

※この記事は執筆途中です。

※8/10追記 しゃべりすぎゲーマーで以前私がしたコメントに関して触れて頂きました。またそれで新たに考えがまとまった&発想が生まれたのでまた記事を最初からまとめ直すかもしれません。コメント欄も開放しておきますね。

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※8/8追記 この記事なんか陳腐だなと思ったので凍結中。またいつかは書くかも

※8/8追記 この記事後ゲームを実際にプレイしたがむしろプレイしないほうがいいゲ    ームもあるかも

■ゲームはプレイしなくても楽しめた。元引きこもりよるエアプの楽しみ方ガイド

●ゲームは実際にプレイしなくてもゲームというメディア、コンテンツにはなんとなく、あるいはドップリと浸かっているという方はおられないだろうか。それもそのはず、テクノロジーや社会の進歩と共にゲームというのは時代とともにその形態、文化を進歩させてきた。
昨今のゲーム業界ではゲームメイカー側から配信であったり実況動画、シェア機能の活用などが浸透し、ゲームの入り口が非常に広まっている。また、ゲームというメディア自体、ゲームプレイのみならず、ストーリーテーリング、アート、音楽、背景技術、キャラクターなど様々な楽しみ方、入り口があるものだ。
そこでこの記事では筆者の体験を交えつつ、ゲームはプレイしなくても楽しめる。エアプレイヤーの楽しみ方ガイドを書き連ねていこうと思う。

 

●そもそもなぜプレイしないのにゲームに興味を持つのか①配信動画サイト
ゲームへの入り口や興味の原因は人それぞれ多様だろう。そこでひとまず筆者の背景を説明する事で、「なぜプレイしないのにゲームに興味を持つのか」の一例を示したいと思う。まず筆者は中学高校と不登校の引きこもりで、独学で大学に入学後も精神状態の都合上、また経済的都合上、ゲームをプレイできなかった・あるいはプレイするという発想に至らなかったのである。(所謂意欲の衰退である)しかしそんな私にも唯一の趣味があった。「ネットサーフィン」である。SNSや匿名掲示板、ニュースサイト、ブログなどなどを回ってみたり、動画サイトや配信を見るという趣味があった。特に後者の動画、配信サイトとゲームは技術的にも文化的にも非常に相性がよく、引きこもりのワタシにとってゲームに触れ続ける大きなきっかけとなった。(映像コンテンツや小説、漫画等はネットサーフィンだけではアクセス出来る領域に限りがあるのだ。)具体的にはゲーム配信やプレイ動画がグレーとされていたおかげで、ゲームの中身への深くアクセスできたのである。(余談だが筆者が初めてPortal洋ゲーに触れたのも、前情報なしに初代ダークソウルを知ったのもお気に入りの配信者がプレイしたおかげである。)エアプレイという言葉はネガティブな印象を与えるが実によく実情を表しており、実際にプレイせずとも視聴者にプレイした感覚を覚えさせる。私は配信や動画で、あるいはネット上の情報で「ダークソウル」の”オンスモ”や山羊頭のデーモンが鬼門である、「キツイ」というリアルタイムの記憶がある。この様にゲーム配信、動画という文化は未プレイヤーにもある種の体験を与えるのだ。この敵はこのタイミングで攻撃を行う、ここは走り抜けた方が無難、など見ているだけでも学習があり、脳内では常にゲームをプレイしているのと同じなのである。イメージトレーニングの様なものだ。イメージトレーニングの有効性は漫画『範馬刃牙』でも示されていた通りである。卓越したイメージは現実を呼び起こすのだ。つまりエアプなどではないとも言える。(この部分はおおよそ冗談である)

 

●そもそもなぜプレイしないのにゲームに興味を持つのか②ゲームの持つマルチメディア性と壁
ゲームというのはインタラクティブ、あるいはコンピューター上のメディアをすべて含むと言っても過言ではないと思う。極端な考えだが筆者はアマゾンプライムの映画もキンドルの小説も「ゲーム」なのではないかと考えている。(インタラクティブ性はウォッチパーティや文章共有など限られたものにすぎないが)。詰まるところゲームというのはアート、音楽、ストーリー、映像、文学、技術、その他諸々すべてを含んでいるメディアなのだ。(漫画や小説に音楽は基本的にないし、映画にインタラクティブ性もなければ、文字情報、アートなども作品上では限られるだろう。)つまりすべてを拭くんでいるがゆえどの要素からでも入り口とする事が出来るのだ。
音楽が趣味ならそこからゲームに入る事も出来るし、アートスタイルやキャラクターが好みならばそこから入ればよいのだ。「東方」などは実際にゲームをプレイしなくても世界観や音楽、キャラクターなど様々な方向からコンテンツを楽しめる例だろう。この様に様々な層に訴求しうるゲームだが、唯一にして最大の壁がある。それは「ゲームプレイ」である。2本のスティックを動かしカメラを操作し、3D空間を把握しながらプレイするのはただ受容するだけの他のメディアとは違い、自ら操作しインタラクトするという点において大きなハードルとなる。

 

以下は後日公開とする。

●プレイしなくても楽しめる

●エアプは悪なのか。
エアプを語る際に語らなければならないのは「芸術性」「商業性」「批評性」が考えられる。

●まとめ